視点・論点(雑感)

 ここでは私が普段思っていること、考えていることを書くことにします。基本的には学生へのメッセージが主体ですが、それ以外のことも書いていきます。
 あくまでも、私の個人的意見として読んでください。

 

最新の書き込みへ

 

 

 

戦争犯罪人

 太平洋戦争が終わって半世紀以上も経った。今後、同じような戦争を二度と繰り返さないためにも、なぜ太平洋戦争が起こったのか、なぜ太平洋戦争は避けられなかったか、を考える必要があると思う。
 日本が開戦に方向付けた大きな出来事が3つある(と私は思っている)。1つ目は真珠湾攻撃を決定したこと。2つ目は日本が中国を攻撃したこと(日中戦争開戦)。そして3つ目は日本が国際連盟を脱退したこと。この3つの出来事を決めたのは、内閣総理大臣の東条英機、同じく内閣総理大臣の近衛文麿、そして外務大臣の松岡洋右。もしこの3人が逆の道を選んだならば日本は今とは別の姿になっていたかもしれない。もっとも、他の誰かが同じ決定を下した可能性は否定できないが。もし太平洋戦争が起こらなかったならば・・・・・・・、これは別の機会に譲ることにしよう。
 この3人について調べてみると、確かに誤った決定を下したものの、そうしなければならないような状況であったように私は感じた。確かに最終的な決定はこの3人が下した。が見方を変えると世論が、即ち国民の声が3人に誤った判断をさせたと言えなくも無い。ほとんどの国民は新聞報道や声の大きな軍人や政治家の言うことが正しいと信じ込み、またあるものは、その場の流れに合わせ、3人の決定に賛成した。もしこの3人が逆の決定を下したならば、3人のその後は、小村寿太郎、浜口雄幸、井上準之助、犬養毅・・・・これらの人と同じような運命をたどったであろう。
 結局、日本を戦争に導いたのは総理大臣の言うことや新聞方報道を安易に支持した日本国民であり、自分の意見を持たず何も考えていない日本国民である。

 そして、同じ血が私達にも流れている。同じような過ちを繰り返さないためにも、しっかりと自分の意見を持ってもらいたい。

 

 

日本語の書き方

今、新しい本を読んでいます。今までも授業の合間に色々な本を紹介してきましたが、この本はこれからの諸君にとって必ず有益な本だと思っています(まだ、途中までしか読んでいないので、断言は出来ませんが)。本のタイトルは、
「超」文章法  野口悠紀雄著、中公新書
あの「超」シリーズの続編です。他の「文章の書き方」の類の本のとは違い、書き手の考えていることを正確に伝えるための文章テクニックについて書かれています。小説を書くための本ではありません。ちなみに、参考文献の欄には、私が授業中に紹介した「理科系の作文技術」もあげられています。
まだ全てを読んでいないのでなんとも言えないのですが、この2冊は技術者にとっては必読です。次回のレポートを書く前に必ずこの2冊を読んでください。

以上

 

「IT」とは

さて「IT」って何の略かわかりますか?そう「nformation echnology」です。が、私は「nformation echnique」だと思っています。即ち、「情報に関する科学技術」ではなく「情報を扱った手法」ということです。コンピュータや携帯電話などの情報機器は有限であり、ある程度のレベルまで達するとそれ以上は新技術が生まれるまでは、そこで停滞してしまいます。しかし、情報を使った技法、もしくは情報そのものは限りなく無限に近いものです。如何にその情報を提供するか、如何にその情報を入手するか、如何にその情報を見つけ出すか。これがこれから先のキーポイントだと私は思っています。諸君の持っているさまざまな情報を色々な形で発信してください。さらに、多くの人が欲しがる情報を見つけ出してください。「美味しいラーメンの店」でもかまいません。「車を速く走らせる方法」でもかまいません。みんなの持っている情報を欲しがっている人が世界の何処かに必ずいます。その人のところへみんなの持っている情報を提供してください。
繰り返しますが、これからは「情報機器」が売れるのではなく、「情報」そのものが売れる時代です。情報機器は単なる手段にしかなりません。

以上

おまけ:
いつも、授業の最後に「以上」と言ってますが、企業ではこの「以上」が必ず必要になります。何か発言をしたときに、最後に「以上です」といわない限り、聞いている人は、まだ続きがあるのか、と思ってしまいます。物事にはけじめが関心。特に話をするときは「これが最後です」という意味の言葉を付けてください。ただし、入社試験の面接で諸君が「以上です」、というのはおかしいから、そこだけは気を付けてください。
おまけ、以上

 

職業訓練について

在学中よりも、卒業してからのほうが関心を持つ内容になるかと思います。給料体系など、企業の中での従業員の評価は、実力主義、成果主義の方向に向かっています。実力のある人はどんどん伸びる、実力のない人は全く伸びないか、もしくは切り捨てられる。そのような時代の中、自分の所得を高めるためには、また自分の雇用を守るためには、企業にとって必要不可欠の人間にならなければなりません。そのためには自分の実力や能力を高めるための「職業訓練」が必要になってきます。
ここから先は私の考えであることを強調しておきます。私の考えとは「職業訓練は自分でするもの」ということです。時々、職業訓練はその企業が責任を持ってやるべきことだ、と言う意見を耳にしますが、私の考えはそれとは全く逆です。私が企業で勤務していたバブル期は「実力をつけて、もっと良い会社に転職する」と言う考えを持っていました。転職のための勉強を企業が後押しするはずはありません。ひたすら自学自習です。今の時期では、別の意味で自学自習が必要とされています。
以前、授業で「期待された通りの結果を出すのが一流、期待された以上の結果を出すのが超一流」と言う話をしました。期待以上の結果を出すためには、人目につかないところでコツコツと地道な努力をすることが必要になります。「職業訓練」ばかりでなく、普段の勉強も、自分から進めて行ってもらいたいと思います。

追加:今、お役所関係では職業訓練のことを「職業能力開発」と言っています。ここの学校名にもあるように。ただこの言葉は全然世の中に浸透していません。みんなは一般に通用しない言葉(例えば若者言葉など)を使わないように心が下て下さい。

追加2:念のためですが、私は企業在職中に、転職のための勉強はしていませんでした。今持っている技術は、全てこの学校に来てから習得しました(もしかしたら前の上司が見るかもしれないので、お断りしておきます)。

以上

 

ソウルへ行って来ました

 このGW中、韓国のソウルへ行って来ました。ここでは学生諸君に関係のあるようなことについてだけ述べることにします。
 授業でいつも言っているように、韓国の製造業はどんどん成長しています。身近な例としてヒュンダイ自動車を挙げますが、ヒュンダイ自動車はその品質をどんどん高め、今では90%(多分)日本車と変わらないでしょう。そして、日本車より価格が安いのであれば、アメリカやヨーロッパは日本車ではなく韓国車を買うことになるでしょう。これはいつも言っているように、欧米諸国にとっては、世界地図の右端にある(欧米の地図ではヨーロッパが中心にあります)日本も韓国も同じようなものだからです。このままだと、近い将来、日本は確実に韓国に追いつかれ、追い越される、と思っていました。
 ところが実際ソウルで感じたことは、日本製と90%同じ工業製品でも、残りの10%が大きく異なり、この10%を追いつくにはかなりの時間がかかると確信しました。例えばエスカレータですが、人を1階から2階へ運ぶ、と言う意味では日本製と同じです。では日本製と違う10%は何かと言うと、移動速度に微妙なムラがあるということです。日本製のエスカレータに乗っていて速度のムラを感じたことは一度もありませんでした。ごくまれに、階段の速度と手すりの速度がわずかだけ違うエスカレータがあるくらいです。階段の速度ムラを気にするか、それとも、1階から2階へ人を運べればよしとするか。日本人は前者を選択し、世界中から認められるようになりました。この完成にいたる最後の10%に多大な労力と時間をかけてきました。ですから同じように韓国製品が日本製品に追いつくまでにはまだまだ時間がかかると思います。
 最近、みんなに「繊細さがかけている」とか「エレガントでない」と言っています。この「繊細」や「エレガント」が韓国製品にはない10%を意味しています。もしみんなが生産したものに「繊細」や「エレガント」が感じられないのであれば、韓国製と同じです。韓国製と同じものしか作れないのであれば、給料も韓国と同じであって仕方ないはず。日本の技術者として、「繊細」かつ「エレガント」なものづくりをしてください。

以上

 

ソウルレポート

 日本と韓国の関係について述べてみます。よく韓国の人は「過去において日本は韓国に対してひどいことをした」と言っています。しかし日本人はそんな意識を持っていない人が大部分だと思います。韓国の人が言うひどいこととは、一つは豊臣秀吉の「文禄・慶長の役(朝鮮出兵)」、もう一つは1904年からの「韓国併合」。ソウルの観光地を行くと、とこの2つのことが至る所に書かれています。
 ではみんなに質問します。文禄・慶長の役で日本は何をしましたか。韓国併合で日本は何をしましたか。ほとんどの人が答えられないはずです。理由は簡単、学校でほとんど習っていないから。私の手元にある高校の日本史の参考書を調べてみました。本文が約400ページある中、文禄・慶長の役に関する記述は2ページ。韓国併合に関する記述は1ページです。パーセンテージで言うと、0.5%と0.25%です。日本史の授業の時間で考えると、およそ15分と7.5分に過ぎません。この程度しか習っていないのでは何も知らなくて当然かもしれません。ならば私が今ここで教えます。
 文禄・慶長の役で日本が朝鮮にやったことは、今の日本に置き換えたならば、どこかの国が日本に攻めてきて、国会議事堂を焼き、皇居を焼き、京都御所を焼き、金閣寺、東大寺、法隆寺を焼き・・・・。それと同じようなことを当時の日本は朝鮮に行ったのです。韓国併合で日本が韓国にやったことを、日本と韓国の立場を逆にに置き換えると、韓国政府がいきなり日本にやってきて、皇居の前に韓国政府の大きな建物を建て、言葉は日本語から韓国語に変えさせられ、通貨は円からウォンに変えさせられ、多くの日本人が強制的に韓国に連れて行かれ、強制労働をさせられ・・・。これと逆のことを日本はやったのです。
 日本が韓国に対して行った行為を、しっかりと覚えていてください。

以上

 

ものづくりについて

 私たちの学校は「ものづくり」を学ぶ学校です。そして今も昔も、そしてこれからもものづくりは大切だ、といわれています。30年前、日本は製造業で大きく成長してきました。そして、これからも製造業で大きく成長しなければならない、と多くに人は言っています。私が考えるには、ある意味正解で、ある意味間違いだと思います。
 「ものづくり」にも色々あります。「0から1を創るものづくり」「1から10を作るものづくり」、そして「10から10,000を造るものづくり」。それぞれ意味は全然違います。30年前、日本は「10から10,000を造るものづくり」で成長してきました。今の時代、30年前と同じものづくりをしていたら、日本の製造業は必ず中国に敗れます。今、日本がしなければならないものづくりは「0から1を創るものづくり」、「1から10を作るものづくり」だと思います。
 30年の間に環境が大きく変化しました。ダーウィンいわく、環境の変化に対応できない生物は自然淘汰される。製造業を取り巻く環境が変わった現在、30年前と同じことをしている製造業はどうなるか。30年前と同じ技術で、30年前と同じ設備で、30年前と同じ商品を製造していたならば、自然淘汰されるのはある意味当然だと思います。生き残るためには、例えばボルト製造業を考えた場合、30年前はM3のねじを生産していたのを、今はM0.3のねじを生産しているとか、30年前は1秒に1個生産してたのを、今は1秒に100個生産しているとか。何らかの変化(進化)をしていなければ今は生き残っていないでしょう。
 ぜひとも、みんなには。「0から1を創るものづくり」「1から10を作るものづくり」この技術を身につけてもらいたいと願っています。

以上

 

続「IT」とは

 今年は「鉄腕アトム誕生の年」と言うことで、テレビや雑誌でロボットが何かと取り上げられています。様々な企業や大学で研究・開発されているロボットを見ていると、「今、必要とされている技術は「知能」だ」と実感します。鉄腕アトムも知能が無ければただの鉄の塊、逆にただの鉄の塊に知能を付けると最先端のロボットになるのでは、そんなことを思っています。
 現在、様々なロボットが売られていますが、これらのロボットはどこまでの「知能」があるのでしょうか。色々なロボットを見ていると、単にこのセンサーがオンになったらこう動く、このセンサーとこのスイッチがオンになったらこう動く、ただそのプログラムが入っているだけのように見えます。
 ならば、何をして「知能」と呼べるのでしょうか。確かに人間がプログラムを組んで、そのプログラムどおり動作するのも知能かもしれません。人間が赤ちゃんの状態から様々な知能を習得する過程を想像してみると、お母さんから色々なことを教えられて物事を判断する能力を身に付けるもの知能ですが、自らが経験して自らがが判断して、もしくは周囲の大人が判断して習得する能力も知能だと思います。即ち、あらかじめ作られたプログラム通り動くのも知能であり、さらに進んで、自らがプログラムを作るのも知能だと思います。
 現在の知能ロボットを見ているとそのほとんどがプログラム通り動く「知能」を持ったロボットです。そして、この知能であるプログラムを作る技術者がまだまだ要求されています。是非とも知能をつくる技術、即ち「Intelligence Technology」を習得してください。

以上

 

得手不得手

 私は授業でいつも言っています。「人には得手不得手がある。やれば出来る、という言葉もあるが、他の人の3倍やって、ようやく同じレベルになるのであれば、それは出来たうちにならない。なぜなら、その時ほかの人は3倍先を進んでいるのだから。」と。
 普通の人には得手不得手があります。不得意分野を克服することは勿論大切なことではありますが、私はそれ以上に得意分野を伸ばすべきだと思っています。ですから、私の担当している電気関係の授業に関しても、大学生として最低限知っておくべきことを理解していたならば、それで十分だと思っています。ですから、苦手な電気を得意になるような努力をするのであれば、その分、得意分野を伸ばしなさい、といつも言っています。
 私も苦手なことがあります。それは、自分の記憶が残っている時期は勿論、私の記憶に残る前からその苦手な兆候が出ていました。35年前の記憶よりもさらに前から私の苦手なことがあり、それから35年以上経ったいまも、苦手なままです。「人は変われる」、と言われますが、それは本当でしょうか?ある部分は変えることが出来るかもしれませんが、根本の部分は変わらないように思います。その「人を変える」ことを強要したならば、それはその人の人格を否定していることになると私は思います。
 最後にもう一度、繰り返します。私の授業、無理して頑張る必要はありません。大卒として必要最小限のことを理解すればそれで十分です。ちゃんと単位はあげます。合言葉は「得手不得手」。

以上

 

志望動機

 何年か前、就職担当をしていました。ある日、私の前で2二人の学生がこんな話をしていました。「就職先の会社は、先生の薦める会社を受ければいいんだよ。先生は俺たちよりも、もっと俺たちのことを理解しているのだから」と。この会話をきいて、恐ろしさを感じました。それは自分に与えられた責任に対する恐ろしさです。
 確かにその当時、私は学生一人一人の希望を訊き、少しでも希望が叶えられるような企業を探していました。他の仕事をおろそかにしてでも、学生の就職先を探していました。就職内定率はどんどん上がりましたが、年を越し、2月頃になると、まだ就職先の決まっていない学生を「如何に」就職させるか、と思うようになって来ました。「就職内定率100%」という言葉が重くのしかかってきたのです。そんなある日、その学生の希望に合いそうな企業を見つけ、何とかそこから就職内定を頂き、私の目標はほぼ達成されました。
 卒業式から2ヶ月ほど過ぎた頃に、その学生が学校に顔を出し、その会社を辞めた、と聞きました。話を聞くと、かなり嫌な思い出を残して退職したようです。その話を聞き、最初は学生のために会社を探していたのですが、最後は就職内定率のために会社を探していた自分を悔やみました。
 何のために私はこの仕事をしているのか。10年前、私がこの学校に就職するときに書いた履歴書の志望動機を今でも覚えています。「私が学生のときに受け取ったものを、少しでもこれからの人に返したい」、細かな表現は定かではないですが、大体こんな内容でした。初心に返り、もし許されるのであれば、数値目標のためではなく、一人一人の若者のためにこの身を捧げたい、そう願っています。   (カッコつけ過ぎ???)

以上

 

「Please make me a real boy」

 ロボットが知能を持つと人間になるのでしょうか。映画「A.I.」の中でハーレー君が「Please make me a real boy」と言っています。どうすれば彼は少年になれるのでしょうか。「人間の心を持つこと?」。では、人間の心とは?ロボットを研究している人は「ロボットを知ることは、究極的には人間を知ることである」と言っています。ここまで来ると、工学ではなく哲学の世界に入るのではないでしょうか。
 私が思うには、「人間の心」とは人間のような判断基準を持つこと、それと人間のような知識経験を持つことのように思います。もしロボットが、そのメモリーの中に様々な知識を格納し、それらの知識からプログラムのIF文を使って判断し、その判断結果を経験としてメモリーに格納する。こうすればハーレー君は少年になるのではないでしょうか。例え2000年も生きていても。
 人間のような知識や経験を得るためには、それらの情報を入力する様々なセンサが必要になります。視覚センサ、音センサ、触覚センサ。さらには第6感センサまで。これらのセンサのほかにも、知識や経験を記録し、ものごとを判断する高度なコンピュータもなってきます。
 私のアパートの下の階に「かなちゃん」という3歳くらいの女の子がいますが、ロボットがかなちゃんレベルに達するのは、まだまだ、まだまだ、ずーっとずーっと先の話でしょう。

以上

 

課題「大学で何を学ぶか」

  上記のテーマでレポートを書いてください。おおよそA4半分程度。但し「高度な技能・技術を習得する」なんて回答なら、提出しなくて結構です。そんな答えを期待していません。提出期限はありません。成績にも関係しません。

以上

 

9.11

 9.11から2年が過ぎました。いつも言っているように、今の世の中、情報化の時代です。これは情報機器の時代ではなく、情報そのものを如何に得るか、それを如何に評価するか、ということです。情報を入手する方法は色々ありますが、インターネットはこれからの情報収集の手段の一つではあります。今、このHPを見ている一年生に良い情報を。

1.まずは真理ちゃん表から回路を組むこと。回路を簡単にしたらプラスα
2.H橋回路をタイガースではなく400m○○○で組む
3.仙台駅にある自動ドアは、あるときは瀬峰駅にあることもあります。
4.釣り針はない。素直に普通にとくこと。

以上

 

ジャンヌ・ダルク

 英仏百年戦争で、劣勢に立たされていたフランスがジャンヌ・ダルクの登場により勢いを増した。国民のために戦ってきたジャンヌ・ダルクであったが、権力のトップに立つ王や教会によって、犯罪人として処刑されてしまった。
 国民のために生きるか、偽りの権力者のために生きるか。人それぞれ自由であるが、私は19歳でこの世を去ったジャンヌ・ダルクのような生き方を選びたい。

以上

 

日本の歴史教育

 中学、高校と歴史の授業があった。私自身、日本史の時間に物理の勉強の内職をしていたのであまりえらそうなことを言える立場ではないが、日本の歴史教育に対して私の意見を言わせてもらう。
 日本の歴史は卑弥呼から数えても約2000年ある。これを均等に分けると100年、1世紀は日本の歴史の中の1/20にしか過ぎない。隣の国の中国や韓国は日本の歴史認識に対して色々と言って来ることがあるが、日本の歴史において、日本が韓国や中国を侵略した期間は100年程度、即ち日本の歴史の1/20である。単純計算ではあるが、学校で歴史の授業が1年間(仮に40週)だったとすると、100年は40週の1/20、2週間だけである。この2週間で日本の近代史を学ぼうとすること自体、無理がある。
 日本の歴史を学ぶには、黒船来航以前と以後の2つに分けるべきと、私は思う。黒船来航以前は日本の歴史、文化、伝統を学ぶ目的で、以後は国際社会の中での日本の立場を理解し、そこでの歴史的事実を現在、そして未来に生かすために。
 日本人、特に若い人はもっと日本の近代史を学び、これからの国際社会の中で歴史を活用してもらいたい。

以上

 

日比谷焼き討ち事件

 今日のテストで、日比谷焼き討ち事件の問題をだした。勿論、事前に情報を入手し、調べてきた人もいたはずである。恐らく、この事件について以前から知っていた人は皆無であろう。直前になって調べ、非常に良い意見を述べてくれた学生もいた。が、まだまだ調べる深さが足りないようである。
 日比谷焼き討ち事件は、日露戦争後のポーツマス条約で日本が獲得した利益があまりにも少なかったために、それに不満を持った国民が起こした暴動である。この事件について述べるためには、日清戦争後の下関条約までさかのぼる必要があると思うのだが、ここでは省略することにする。
 日露戦争は、ロシアの南下政策に不満を持った国民の声が大きくなり、戦争に踏み切った。ロシアの軍港である旅順の陥落、そして東郷平八郎による日本海海戦での勝利。これで国民は、日本はロシアに勝てる、と思っただろう。しかし多くの国民は、旅順攻撃のためのキーポイントである203高地で大きな被害を受けたことを、そして日本海海戦での勝利が幸運だったことを知らなかった。日本は快勝ではなく辛勝であった。
 真実を知ろうとしなかった国民が悪いのか、知らせなかった政府が悪いのか。とにかく、正確な情報が国民に入らなかったためにこのような事件が起こった。
 現在も、イラク問題、北朝鮮問題などさまざまな問題がある。政府やマスコミは色々なことを言っているが、表に出てこない真実を推測した上で、これらのことを判断してもらいたい。

 最後に、今回のテストを機会に日本の近代史に関心を持ってもらえれば、この問題を出した意義は充分満たされたと思う。

以上

 

人の死について

 卒業式を間近に控えた学生諸君には申し訳ないテーマであるが、卒業するに当たり最後に一言伝えておきたい。
 私は20代のときに幾つかの人の死と接した。身内の死、先輩の死、後輩の死、そして同期の死。どれも突然死である。自動車メーカーに就職した後輩は、学生の時から営業実習を嫌がっていた。その後輩がまさに営業実習期間中に突然、亡くなった。前の職場の先輩は、勤務時間中にトイレで休んでいたところ、そこで倒れて亡くなった。病院で勤務していた私の身内は、職場である病院で倒れ、医師や蘇生設備のあるところで亡くなった。
 今、世間には突然死が至るところにある。これらの突然死がストレスと関係していることも明らかにされつつある。ストレスの感じ方は人それぞれである。同じことであっても、ある人にはそれが大きなストレスと感じ、また別の人にとっては何も感じない、ということもある。困ったことに他人のストレスは知ることができない。後輩の例のように、誰でも普通にこなせる営業実習が、その後輩にとっては死に至るストレスであったのだろう。
 「突然死なんて自分とは無関係」と思っているだろうが、他人事ではないことは明白である。くれぐれもストレスを溜めず、健康には充分注意してもらいたい。特に、○○君、○○君、・・・・・。緻密で、まじめで、繊細な神経を持った人は、決してストレスを溜め込まないように。
 卒業を前に、最後のお説教である。

以上

 

日本の文化

先日、映画「ラストサムライ」を観て来ました。トム・クルーズ、渡辺兼の映画です。アメリカでも人気があるようで、トップ5に入っているようです。
この映画、私の感想ですが、とてもいい映画でした。日本人が忘れている日本の心がよく表現されていたように思います。これから観る人のため詳しくは書きませんが、日本人が日本映画としてみても、何も違和感は感じないほどでした。また、トムクルーズの回想シーンで、無力なインディアンを殺害しているところがありますが、これは「もしかしたらアメリカの歴史の否定」であり、「今のアメリカの対外的姿勢の否定」なのかな、と思いました。
他にも、新政府内での明治天皇のおかれた立場などは、今までの日本のメディアではあのような紹介のされ方はしていなかったと思います。ある意味、本当の明治天皇の姿が映し出されているようでした。大村(多分、大村益次郎)の存在も意外な感じがしました。

悔しいことに、これほど上手く日本を表現したこの映画がアメリカ人の監督が作ったアメリカ映画だということは、とても残念です。このような映画を日本人に作ってもらいたかったです。
でもなぜ、アメリカの歴史や価値観を否定するかのような映画をアメリカが作ったのかは疑問です。もしかしたら、極端にアメリカに傾倒しアメリカナイズしてきた日本に対する警告なのでしょうか?意見をお聞かせください。

 

物言わぬ日本の文化

 最近、北朝鮮から帰国した曽我ひとみさんの「出来れば北京以外で」発言が話題になっています。この「出来れば」と言う言葉はどのくらいの確率なのでしょうか。技術系である私は何でも数値化したくなります。
 「絶対」は100%、もしくは0%を意味します。これは誰でもそう理解するでしょう。ならば「出来れば」は?例えば日常の会話の中で「今日のランチは何にする?」、「何でもいい。でも出来ればラーメンがいいな」。この時の「出来れば」はせいぜい10%くらいでしょう。ならば、曽我さんの「出来れば」は10%だったのでしょうか。私はそうは思いません。このときの出来れば99.9999・・・%、限りなく100%に近い「出来れば」だと私は思います。
 日本にはものごとをクリアに言わない「婉曲表現」と言う文化があります。大阪より西の地方は比較的明確に表現しますが、日本文化を作り上げた(と私は思っている)京都では、人を傷つけないための婉曲な表現がよく使われています。婉曲表現が良いかどうかは判りません。ビジネスの世界では必ずしも良くないのかもしれないですし、国際社会では使ってはいけないのかもしれません。が、これが1200年の年月をかけて創られて築き上げられた日本文化であれば大切にする必要があると私は確信します。よくアメリカが「日本は何を言っているのか判らない」と言ってますが、私に言わせれば、「ならばもっと日本文化について勉強してきて下さい」と反論したくなります。
 話を曽我さんに戻します。曽我さんは、記者会見やインタビューで大声を張りあり上げて自己主張することなく、一言一言かみしめながら答えています。この様な曽我さんの人柄を考えると「北京は絶対嫌だ」と言わないのは明らかなのではないでしょうか。それを理解できなかったのか、それとも意図的に理解しなかったのか、行政側は「曽我さんは『嫌だ』とは言わなかった」と自己弁護しています。
 ビジネスの世界で婉曲な表現は必ずしに良くないのかも知れません。が、国会答弁などを聞いていると、全くする気もないのに「前向きに検討します」という婉曲表現(?)を使っています。日本人であるならば、日本で生活するのであれば、日本の文化である婉曲表現を理解し、相手の心を理解しようとする努力が必要なのではないでしょうか。この努力をしない人は、行政職として、上司として、さらには日本人として失格、と言うのは言い過ぎ?

 

 

asdfasdfasdf

 

 

 

 

 

TOPページへ戻る

.